1985年8月9日生まれ、大阪府出身。2001年「第一回ホリプロ NEWSTAR AUDITION」でグランプリを獲得し、芸能界入り。2008年堤幸彦監督作品『20世紀少年』で小泉響子役を演じ、注目を浴びる。 2013年金子修介監督作品『百年の時計』で映画初主演。その他の作品には『想いのこし』(14)、『知らない、ふたり』『秘密』『グッドモーニングショー』『幸福のアリバイ』(16)など。テレビドラマ『銭ゲバ』(09)、『勇者ヨシヒコ』シリーズ(11・12)、『昼顔』(14)、『マッサン』(15)、『火の粉』『最後のレストラン』『せいせいするほど、愛してる』『勇者ヨシヒコと導かれし七人』(16)。2014年の舞台『奇跡の人』ではアニー・サリヴァン役を演じるなど、幅広い活躍が続く人気実力派女優。

 


1991年10月21日生まれ、埼玉県出身。TV『刑事のまなざし』(13)、『天使のナイフ』『それでも僕は君が好き』(15)、『不機嫌な果実』『OUR HOUSE』『ラスト・アタック~引き裂かれた島の記憶』(16)など。2013年行定勲監督『つやのよる ある愛に関わった、女たちの物語』で映画初出演。その後も『神様のカルテ2』『小川町セレナーデ』『アオハライド』(14)『通学シリーズ』(15)『珍遊記』『花芯』(16)と出演作が続き、今後の活躍が期待される。本作の白羽弥仁監督とは『神戸在住』(14)に続き二作目となる。

 


1968年6月13日生まれ、神奈川県出身。1983年相米慎二監督『ションベン・ライダー』で主役デビュー。その後、数々のドラマ・映画に出演しNHKドラマ『ふたりっ子』(96~97)で演じたオーロラ輝子として、1996年コロムビアレコードから「まごころの橋/夫婦みち」で歌手デビュー、翌年1997年、「第48回NHK紅白歌合戦」の出場を果たす。主な映画出演作『恋人たちの時刻』(87)、『あ、春』(98)、『ごめん』(02)、ドラマ出演作『卒業』(90)、『白い巨塔』(03)、『白夜行』(06)など。演技派女優として、映画、TV、舞台に幅広く活動している。

 


1964年3月11日生まれ、兵庫県出身。1993年に公開された『She's Rain』で劇場映画の監督デビュー。97年にアメリカへ短期留学。08年に15年ぶりの劇場作品となる『能登の花ヨメ』を、14年には『劇場版 神戸在住』を監督。
プロモーションビデオ、CM、短編映画を多数手掛ける一方、甲南女子大学文学部メディア表現学科で講師も務める。

 


台湾の名家の長男である台湾人の父と、中能登にルーツを持つ日本人女性の母との間に生まれる。幼少期は台湾で生活。舞台を中心に女優として活動し、本作にも出演している。最近は家族や台湾をテーマにエッセイを活発に執筆。中能登町観光大使および台南市親善大使も務める。著書に『私の箱子』『ママ、ごはんまだ?』(ともに講談社)、『わたしの台南』(新潮社)。いずれも台湾で翻訳出版されている。最新作は『わたしの台湾・東海岸』(新潮社)。
 
 
この映画は、母の作った料理を通して、母や父が歩んできた波瀾万丈の物語を描いたものです。台湾人と結婚した日本人の母は、単身台湾に渡って私たち姉妹を生み、一生懸命に覚えた台湾料理をたくさん、お腹いっぱい食べさせてくれました。毎日何気なく食べてきた母の料理には、たくさんのエピソードと思いやりが詰まっています。そうした料理の一つひとつから、私たち家族の思い出が蘇ります。台湾の人たちは、何より家族で共にする食事の時間を大切にします。この映画を通して、家族と楽しく一緒に和気あいあいと食べる食事の大切さを、改めて皆さんに思い出していただければ、とても嬉しいことです。映画のロケでは、母のルーツである石川県の中能登町や、父の故郷である台湾の台南でも、多くのロケを行うことができました。原作は私が書き、主題歌は妹が歌います。この映画そのものが、早くに亡くなった両親に果たせなかった親孝行になればと思っています。もしかすると、みなさん、映画をみて、食欲が沸くかもしれません。そのときは、台湾に行って、ぜひ本場の台湾料理を食べてみてください!
 


1976年生まれ。姉は一青妙。幼少期を台湾で過ごす。「もらい泣き」(02)でデビュー。翌年、数々の音楽賞を受賞、NHK紅白歌合戦初出場。その後、5枚目のシングル「ハナミズキ」、初のベストアルバム「BESTYO」が大ヒット。映画『珈琲時光』(04)や音楽劇「箱の中の女」(08)の主演を務め、初の詩集「一青窈詩集 みんな楽しそう」(ナナロク社)、台湾ガイドブック「てくてく台湾 」(パルコ出版)を刊行するなど、歌手の枠にとらわれずに幅広く活躍。
 
 
姉の気持ちになって書きました。母子家庭の時代、ちゃんと聞き分けのいいこにならなくちゃ、とずいぶん頑張って「おねえちゃん」でいてくれたと思います。母亡き後は、同時に母の役目を担ったり、一人の女でありもっと甘えたかったのではと想像しました。
きっと母のめいっぱいの愛情を一人占めしたかった時期もあるのだと思ったらこんな詩になりました。大人もこどももみんないいこいいこをして欲しいのではないでしょうか。この曲が新緑を吹き抜ける初夏の風のようにたくさんの人の頭をなでてあげられたらいいなぁと思います。